現代の経済システムの発展とともに、宝石もその存在意義を大きく変化させてきました。
元々は、お守りや神器、象徴など、特別な存在として扱われたり、医療のツールとして使われたり、私たち人類とはとても深く関わってきた存在です。
だからこそ、その人類の発展とともに、宝石としての存在意義も大きく変化してきました。
特にダイヤモンドや金は、この経済システムの中で重要な役割を担い、システムの基盤に近いところで役割を果たしています。
ダイヤモンドは、比較的たくさん採れる宝石ですが、その流通システムは、他のカラーストーンと全く異なったものです。
そのため、その経済的価値はわかりやすく、全世界で統一的で安定した取引がなされます。
それに対して、カラーストーンは、言ってしまえば鮮魚と同じように、時価で取り引きされる生もの。
統一もされていなければ、安定もしていません。
需要が高ければ高価になり、需要が低ければ、どんなに綺麗でエネルギーが高くても、二束三文です。
また、需要があっても、たくさん採れれば安価になるし、希少であれば高騰します。
それに、産地に、色合い、輝き、カット、重さ、大きさ、エンハンスメント、トリートメントの有無などによってその価値は全く違ってきます。
最近では人工で作られた宝石も存在し、素人では(もしかしたらプロでも)その見分けは難しくなっています。
いわゆる玉石混合の世界が色石の世界でもあります。
それが面白いと捉えるか、つかみどころがないから危険だと感じるか。
経済システムの中での宝石と捉えると、色石は手を出さない方が賢明です(笑)
ただの宝飾品、財産として持つなら、ダイヤモンドがいいに決まってます。
だけど、カラーストーンには、その多彩さゆえの面白さがあります。
人間みたい。
この多様性とその独特のエネルギーが、古来から人類を魅了してきたのだと思います。
経済システムは、人間の叡智が作り出して発展させた人工のものです。
自然界の大枠からしたら、それは非常に制限された世界です。
その制限された目でだけ宝石と関わるのはとてももったいないことです。
宝石は自然そのもの。
宝石と関わるということは、自然と関わること、地球と関わること、宇宙と関わることだと私は思っています。
そんなこと、宝石を持たなくても可能だと言ってしまえばその通りです。
でも、無意識の中にある自然の価値を認識しながら生きることはとても難しいものです。
私たちが自然から受けている恩恵は計り知れないのに、そのほんの少ししか認識していません。
その恩恵をよりわかりやすく認識するためのツールが宝石だと私は考えます。
人間の持つ概念は相当限定的です。
宇宙の真理のほんの数パーセントしか知っていないに関わらず、なんでも知った気になっているのが私たち人間です。
宝石は、そんな傲慢な人間の意識を優しく、厳しく広げてくれる心強いパートナー。
私はそう思っています。