化石燃料のノスタルジー

子供の頃から車好きで、スーパーカーブームでは、ランボルギーニカウンタックに釘付け、「大人になったら、カウンタックLP-500sを買うんだ!」と言っていたのを思い出します。

車好きというよりは、どちらかといえば内燃機が好き( ^ω^ )

ガソリンを燃やして動くエンジンは何でも興味がありました。

18歳で免許を取ってから、昨年末まで、車を所有していない時期はなく、とにかく、自分でできるところは自分の手で整備、マフラー、サスペンション、ブレーキに至るまで自分で交換したり。

今から10年前までは、車を持たない自分なんて全く許せないというくらい、車に依存し、自分の自己アイデンティティをそこに重ねていたのに、今車を持たなくても全く不便を感じない生活になり、不思議と全く大丈夫なことに自分自身がびっくりしています(°▽°)

ガソリンを爆発させ、その燃えカスを撒き散らしながら走る内燃機に魅かれたのは、自分自身の内側にある何かを燃やし、その燃えカスを外に出したかったからなのだと思います。

化石燃料の爆発力は、今まで行けなかった場所まで自分を運んでくれたり、非日常のスピードを体験できたり、体力を使わず楽に移動できたり、人生の幅を大きく広げてくれる存在としてとても魅力的です。

そして、意識の中での化石燃料的エネルギーと言えば、

 見返してやる!

 何が何でも手に入れてやる!

というような、願望のエネルギーや、

 アイツばっかり良い思いしやがって!

 不公平だ!

というような、妬みエネルギー

 この間違った世の中を変えてやる!

 俺が助けてやる!

というような、お節介エネルギー 

 チキショー!◯◯してやる!!

 あいつが悪い!◯◯してやる!!

という、怒りエネルギー

などなど・・・

爆発力があり、現実化のためには都合の良い、使えるエネルギーです。

世の中の多くが、こんなエネルギーを使うことによって成り立っていて、そのエネルギーで生きるのも楽しいものです。

私も長い間、このエネルギーを源とすることで社会に組み込まれて生きてきました。

それは、自分の居場所を確立し、評価され、生きている実感を感じられ、生きていることを許されている感を得る素晴らしいものだった思います。

高性能エンジンが高効率でガソリンを燃焼させ、廃棄ガスを爆音とともに空気中に解放する開放感にも似た感覚。

願望は達成され、感情も解放され、より行動範囲は広くなり、関わる人も増えていく。

 

意識の化石燃料は、生きている実感を味わうには欠くことのできないものなんだと思います。

 

ただ、燃えカスや有害なガス、騒音などを発生させるのも、化石燃料と同じです。

そして、枯渇する可能性を常に抱えているというのも似ているかもしれません。

爆発力や瞬発力はあるけど、使えば何かが減っていき、その補給が必要。

補給ができなければ、もう動かない、動けない。

それが、化石燃料のウィークポイントでしょう。

 

クリーンエネルギーの活用が叫ばれて久しいですが、いまだに私たちは化石燃料に頼っています。

それでも、流れは間違いなくクリーンエネルギーへ流れているのは間違いないでしょう。

この流れには、意識のエネルギーの使い方が大きく影響するのではないかと私は感じています。

ひとりひとりが、個人レベルで意識を化石燃料からクリーンエネルギーに変えて行く。

意識のクリーンエネルギーとは

 ありがとう!

 ごめんなさい!

という感謝のエネルギー

 うれしい!

 おめでとう!

という喜びのエネルギー

 楽しい!

 最高!!

という楽しさのエネルギー

だと思います。

 

ル・マン24時間耐久レースの最高峰クラスがハイブリッドカーになり、ガソリン車を凌駕しています。

内燃機好きな私にとっては、少し残念な気分になります。

やっぱりガソリンでしょ!と言いたい自分。

でも、それはもうすでに完全にノスタルジーの世界だということを心の底では知っています。

そんなことを言っている場合じゃない。

せっかく、この大きなエネルギー転換期の地球に生まれてきたんだから、その波に乗って、自分自身のエネルギー転換を体験しなかったらもったいない。

ノスタルジーに浸ってる暇はない。

 

でも、ノスタルジーって魅力的なんだよなぁ・・・♪(´ε` )

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