自己評価は、心のバロメータ

※ 身近にいる、最も心のバランスが取れた存在、ナナ(^_−)−☆

 

自分がどう見られているのか?って結構気になるものです。

 

もし、その感覚がなかったら、社会の中で生きるのは大変でしょう。

 

反面、それを気にするあまり、言いたいことが言えなかったり、やりたいことがやれなかったり、自分に制限をかけてしまうという側面もあります。

 

他者からの評価があるからこそ、自分自身を客観的に見ることができるし、その声に耳を傾けるからこそ、人との関係性の中での豊かさを感じることもできる。

 

逆に、他者の評価があるからこそ、息苦しさや、制限を感じる。

 

 

心を満たすプロセスにおいて、最も原始にある欲求は、肌の触れ合い欲求。

 

赤ちゃんの頃は、くっついていさえすれば心が満たされます。

 

 そして、少し成長すると、承認欲求がそこにプラスされます。

 

認めてもらうことで心が満たされるというもの。

 

誰かにくっついていることで満たされるプロセスから、個として存在していることを認めてもらうことで満たされるプロセスへ成長するわけです。

 

そして、個を確立した先に、生き甲斐欲求がプラスされます。

 

個人として生きている時間を自分で満たすプロセスです。

 

心の欲求は、プラスされていくので、年齢とともに貪欲になるわけです。

 

大人になっても人肌は恋しいし、やっぱり誰かに認めてもらいたいという想いは消えません。

 

それらの欲求がバランスよく満たされていると感じるとき、私たちの心は安定し、安心感を感じ、自分らしさを表現できる状態になります。

 

  自分がどう見られているのか?人の目が気になって自分らしさを失っているのは、認められていないと感じているかもしれません。

 

 認められているのに、もっともっとと認められたいと望むのは、肌の触れ合いが足りていないのかもしれません。

 

 悪い評価しかされないように感じるのは、生き甲斐を感じていないときかもしれません。

 

 人目を全く気にしないのは、心を満たすことを諦めているのかもしれません。

 

 

自己評価とは、他者からの評価を集めた成績表ではありません。

 

自分自身の心がどれだけバランスよく満たされているかのバロメーターです。

 

自分に厳しすぎるのも、自分に甘すぎるのも、自分に無関心なのも、自分を嫌っているのも、心の中に不足感があり、それを満たそうとしている現れです。

 

厳しくすれば満たされる、甘やかせば満たされる、無関心でいれば満たされる、嫌っていたら満たされると信じて長い年月を過ごしているはずです。

 

でも満たされない・・・

 

当然です。

 

だって、不足感があるから、厳しくするし、甘えるし、無関心になるし、嫌いになるもので、前提が「満たされていない」だから。

 

いつまでたっても、どこまでいっても「満たされない」は変わらない。

 

他者からの評価によって満たそうとしても、不足感に基づく自己評価を変えないことには、「もっともっと」の蟻地獄からも、傍観者の人生からも抜け出せません。

 

今の自分の心が何を欲求していて、何が足りないと叫んでいるのか?

 

その声に素直に耳を傾ける。

 

その単純なことだけが、唯一心を満たす方法なんです。

 

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