ルビーと見間違えるような、真紅のレッドスピネル(^_−)−☆
実際に長い間ルビーとは区別されずに、ルビーとして使われていた歴史もあり、英国王室の戴冠式用王冠には、このレッドスピネルが使われています。
肉眼で区別するのはかなり難しいというより、たぶん無理です。
エネルギー的に見ても、どちらもパワフルな強いエネルギーを放っていて、その違いを感じ取るのはなかなか難しいと思います。
ぴったりと共鳴する人が持った時、ルビーはハートチャクラに強い反応を示す傾向があり、レッドスピネルは第一、第2チャクラに強く反応するというような違いがありますが、その反応によって全チャクラがバランスされるので、その違いを感じ取るのはなかなか難しいものです。
もちろんそんな違いなんてどうでもいいんですが( ^ω^ )
レッドスピネルの石言葉は、努力と発展だそうです。
やっぱり、第一・第二チャクラのテーマに関係したエネルギーを持っているということでしょう。
私たちは、「努力」することで、「発展」を目指す生き物です。
どうであれ、生まれてから成長する過程において、努力しなかった人はいないし、発展していない人もいない。
でも、その努力の結果を受けて、自分に評価を下し、その評価に従って自分なりの理屈を構築して、今の自分を保つよう頑張っています。
結果が思うようなものでなかったら、ダメである自分としての存在を保とうと、本来の力を発揮しない努力を始めます。
逆の場合は、当然、さらに頑張って良い結果を得ようとします。
一見努力しているのは、うまくいっている人だけのように見えますが、何に向かって、どこに向かって、どんな努力をするかは千差万別。
良い悪いの視点を完全に外すと、努力をしていない人はいない。
ただ、努力すること自体が義務や目的になったり、生きる意味になっているとしたら、それは過ぎているものなんだと思います。
本来努力することは喜びであり、魂の向かう方向への手段のひとつでしかないもの。
人生を振り返って、自分は何をがんばり過ぎているのかを冷静に見る目は、これまでの人生で取りこぼして来たもう一人の自分に出会う素晴らしい機会です。
これまで自分に「ダメ」のレッテルを貼って持っている力を使わない努力をし過ぎてきたなら、思い切って力を使う努力をしてみる。
なんとなく無関心を装って、自分の人生を傍観して、自分以外のことに意識を向ける努力し過ぎてきたなら、自分の人生にどっぷり浸かる努力をしてみる。
結果を出し続け、がんばり地獄から抜け出せなくなっているなら、結果よりも今の喜び、楽しさを追い求める努力をしてみる。
「何もがんばってこなかった」と感じているなら、まずは自分が何をがんばって、がんばり過ぎているのかを知ることから始める必要があります。
実は、これが一番難しかったりするんですけどね。
努力しようがしまいが、人生は勝手に進んでいくように感じます。
でも、「魂が望む自分としての発展」からズレた努力をしていると、自分として生きている意味を感じなくなってしまうんだと思います。
生きている意味は、良い結果を得ることでも、何か大きな足跡を残すことでも、ましてや努力の量ではないはずです。
自分が生きていて良かった、生まれてきて良かった、自分で良かったと感じながら生きることなんだと思います。
当たり前のようですが、本当にそう思って生きている人にはなかなか出会えません。
もちろん自分自身もまだまだ。
すぐ死にたくなるし、生まれてこなければ良かったなんて思ってしまうし、自分がもっと◯◯だったら良かったのになんて思ってしまいます。
そんな思いが浮かんでくると、過去の努力の方法に縋りたくなります。
でも、その努力の方法はもうやめて、今まで聞いてこなかった自分の声を聞く努力を続けています。
まあ、大変なことばっかり言ってくるわけです、自分が(笑)
大変な時に休みたいとか、漫画読みたいとか、何にもしたくないとか、サボりたいとか・・・
でも、これは今まで「過ぎていた」からこそ出てくる声だということを知っているから、無視しないで休むし、漫画読むし、何もしないでボーッとするし、サボる。
これが一番怖くて難しいことで、今のところ努力が必要( ^ω^ )
声の主(自分)が納得のいくまで声を聞き続ける。
こんな努力、今までの人生でしてこなかったからこそ、怖くても難しくてもがんばろうと思うわけです(^_−)−☆