究極的に、「自分を信じる」とは、
世界中の全ての人が自分を否定しても、自分だけは自分の味方であり続けようとする覚悟
と
自分を信じていてくれる誰かがいてくれる奇跡に対する感謝
なんだと思う。
どちらかだけでも、どちらかのためにどちらかを補強証拠に使うでもなく、ただそれぞれを独立して持ち続けること。
誰も自分に注目していない、自分だけが孤立してる、誰も自分を認めてくれない、自分だけがおかしいのではないかと感じた時、それでも自分だけは自分を見放さないでいる。
でも、それだけだと、「自分だけが正しい」の中にいるに過ぎない。
身近にいる人に対して、素直になれなかったり、鬱陶しく感じたり、面倒だと思っても、身近に誰かがいてくれること自体が奇跡であることを思い出す。
でも、ただそれだけだと、「本当の自分」はかき消されてしまう。
「あの人にこう言われたから、ここに居場所があるから、これを持っているから、自分は大丈夫。」は、自分が自分を信じていないということ。
「自分が正しいから、あの人は一緒にいてくれる。」は、傲慢な独裁者でしかない。
人を受け入れてくれないという孤独感と、誰かがそばにいてくれるという一体感、この相容れない感覚を同時に感じ取ることが「自分を信じる」ということなのかもしれない。
結局のところ、私たちは完全に孤独になんてなれないし、他者と完全に一体化することなんてできない。
それでも、孤独を感じ、恐れ、誰かを求め、一体感を感じたい。
ありえないことを恐れ、手に入れられないものを求めるのが自分であるということを知らずして、何を信じるのだろうか。
孤独を受け入れる覚悟を持って、誰かと深く関わる。
それが「自分を信じる」ということなんだと思う。