自分で作り上げる現実

結局人は、自分の信じた通りに生き、信じた通りの現実を手にしている。

 

「今目の前にある現実は、100%自分が作り上げている」ということを本気で受け入れるのはなかなか難しいものです。

 

でも、たぶんそれこそが本質であり、宇宙を成り立たせている要素にさえ関係している大切な法則なのかもしれません。

 

でも、受け入れがたいですよね〜

 

風邪を引いたら、ウィルスのせいにしたくなるし、つまづいて転んだら、つまづいた物のせいにしたくなる。

 

社会が生きづらいのは、政府の政策のせいにしたくなるし、自分にお金が回ってこないのは、一部の富裕層たちが独り占めにしているせいにしたくなる。

 

たぶん、何かの「せい」にしているうちは、自分が作り上げている世界の全容はわからないんだと思います。

 

逆に言えば、自分が作っていることにしたくないから、誰かや、何かの「せい」にする。

 

 風邪をひいたのは、ウィルスのせいでも、自分の不養生のせいでもない

 

 つまづいたのは、そこに物があったせいでもなければ、自分の不注意のせいでもない

 

 生きづらいのは、社会のせいでもなければ、自分が悪いわけでもない。

 

 お金がないのは、お金持ちたちのせいでもなければ、努力不足のせいでもない

 

ただ、そういうことが起きたということ。

 

そういう視点が持てた時、誰かや何か、もちろん自分のせいにもしない世界の中にいることで、初めて見える世界があります。

 

 

行き場のない感情エネルギーは、その行き場を探してさまよいます。

 

さまよったエネルギーの収まりどころを作るために、「〜のせい」が必要になる。

 

そうすることで、辛うじてエネルギーバランスを保っているのが私たちです。

 

さまようエネルギーが多ければ多いほど、その対象がたくさん必要になってくるわけです。

 

言い換えれば、感情エネルギーの行き場所をつくるために、「〜のせい」にする対象を作り上げているとも言えるわけです。

 

何のため?自分のバランスを保つため。

 

それは決して安定したバランスではなく、ギリギリで保たれているものなのかもしれません。

 

そのバランスが崩れると、納得して格納されていたはずの感情エネルギーがまたさまよ出します。

 

それを恐れて、バランスを取り続ける人生は、薄氷の上を歩くような、崖っぷちを走るような心地になってしまうでしょう。

 

あえてバランスを崩して、さまよう感情エネルギーの本来向かうべき場所を知れば楽になるのに〜と思いますが、バランスされているうちは、なかなか自分から崩そうとしないのが人間です。

 

 

ただ、その生き方をしているうちは、「今目の前にある現実は、100%自分が作り上げている」なんて受け入れられるはずがないし、自己責任で生きるなんて夢のまた夢。

 

100%自己責任の世界に生きるとは、目の前の現実から目を逸らさないということ。

 

それは、何の「せい」にもしない生き方。

 

「〜のせい」にしているうちは、自分自身の感情の責任を放棄している生き方になってしまう。

 

まずは、自分の感情の責任を取ること。

 

それは、さまよう感情の収まりどころを作り出すことではなく、そのままに感じることなんだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です