うちの三男が高校を中退したとき、その発端は本当に大したことのない出来事でした。
高校生らしい髪型
という意味のわからない言葉に彼が噛み付いた。
いったい何が「高校生らしい」なのか?
そもそも「高校生らしさ」って何だ?
そんな疑問を持ちながら、それに明確に答えてくれる先生がいなかったことについにキレた。
仲のいい友達が、髪が長いということでペナルティーを課せられた。
いや、俺の方が長いんですけど?
成績優秀の彼は許され、そうでない友人はペナルティーを受けるという矛盾。
「高校生らしさ」という曖昧な基準は、先生たちの舌先三寸だとは思いたくなかった。
でも、どうやらそうらしい。
それどころか、それを上段に構えて振りかざしてくるこの大人たちの気持ち悪さに辟易した彼は退学を選びました。
もう数ヶ月我慢すれば、卒業という時期、それでも、我慢できなかったんだと思います。
「この学校を卒業したら、人生の汚点になってしまう。」、と彼は言いました。
このまま卒業したら、その気持ち悪さを容認した自分の証を残してしまうと感じたようです。
担任の先生から電話がきました。
当然、
もう少しで卒業だから、なんとか我慢するよう説得してください。
とのこと。
ずっと、一般論に終始し、「高校生らしさ」と「卒業の重要性」を説いてくるので、「あなたはどう感じているのか?」と質問すると、理想論を語り出します。
でも、最後には「だけど、それは理想論です!」と、あたかも理想論は叶わぬ夢でありえない絵空事だと決めつける始末。
理想論ということは、先生もそれが理想だと思っているということですよね。
この言葉が、先生に火をつけてしまい、まあ小一時間も、食ってかかられました( ^ω^ )
いやな親ですね(^_−)−☆
理想が全て叶うわけではないなんて、百も承知、それでも譲りたくない純粋な想いをもった息子。
そんな彼を、誇りに思いました。
大損だし、馬鹿げてるし、人生の不利益もたくさん負い込むことになるでしょう。
でも、大切なことを誤魔化さない生き方をしていれば、何の問題もないと感じました。
実際しのとおり、想像を超える大変な思いを経て、彼はたくましく成長し、彼らしさを発揮する強さを身につけてきています。
理想論だけでは生きていけない。
だけど、理想を追い求める自分を諦めたら、生きている実感は乏しくなるし、自分を好きでいられなくなるでしょう。
どんなに傷ついても、損しても、怖くても、辛くても、自分の中にある純粋な想いを大切にできる生き方。
そんな生き方ができたら、きっと気持ちい気色が目の前に広がるはずです。