ジュエリーセラピスト養成講座(東京クラス第1期)の卒業生の方がこの講座でどんな体験をしたのかを少しご紹介します。
※ こんなに長い期間の講座なのに、写真を1枚も撮っていないという・・・
************************************************************************
○ セラピーコースで学んだこと
beingの重要性 どういった存在感、世界観を持っているか。
上辺だけを取り繕っても信頼関係は築けない。
自分がどういう人間として振る舞うかは、自己一致していなくては決められない。 そこにズレがあれば、接していて違和感のある人間、つまりは信頼のおけない人間という印象を与えてしまう。
何よりもまず自分を知ること。
己の経験や感性、思考のフィルターを通してしか本当の言葉は語れず、自分を信じるようにしか他人のことも信じられない。
しばしば自己愛の問題が扱われるが、己を認め、愛していなければ、それをクライアントに示すことも出来ない。
借り物の言葉では伝わらない。
自分自身の精神の歴史がなくては、クライアントがどの段階で苦しんでいるかが細やかに理解できないし、どう変化してゆくかのヴィジョンも見えない。 己の到達点までしか人は発想できない。
浅薄な洞察による共感は侮辱に等しい。 人に美しさを見るとき、それを見出した自分の感性もまた美しい。
己を知ること、認めること。 過大評価せず卑下しすぎず、今の自分はこの地点にいる、と知ることの難しさ。
良し悪しで判断せず他者と比較せず、ただ知る。 分析力、理解力といった実績の分かりやすい特性だけに縛られず、素直さや純粋さ、可愛らしさや愛情の深さを認め、そちらを伸ばしてゆくこと。
自分が積み上げてきたものの大きさを認めること。否定しないこと。 満たされていることを知りながら理想を追うことに矛盾はない。
○ 宝石について
宝石とは私そのものである。
人によって体感、相性が全く異なり、エネルギーの強い物が誰にでも合うということは決してない。
アロマオイルや漢方を調合する感覚に近い。
いかに宝石自身がパワフルでも、持ち主が許可したぶんしか動かない。 自分はここまでの人間だと見限ると、宝石も動かなくなる。
それが無自覚な場合でも、宝石のコンディションが教えてくれる。 また、自分に合う宝石の放つエネルギーが、未来の自分のあるべき姿を象徴している。 宝石を形容するとき、人は己のことも形容している。
己を写す鏡のような存在でありながら、導いてくれる存在でもある。
その純粋性ゆえに、自己認識がずれていれば宝石との関わり方もずれてゆく。
宝石の可能性は、持ち主の力量や感性の幅に比例するとも言える。
考えすぎるタイプなので、宝石のエネルギーを感じることが最初は困難でした。
己の感覚に自信がなく、どう感じることが正解なのか、自分にその能力や資格があるのかばかり気にかかっていました。 それよりも宝石の個性や美しさ、こうして触れるまでの膨大な年月へのロマンのほうへ惹かれてゆくうちに、フラットな心で楽しめるようになりました。
感覚的なこと、ましてや個人差の大きなものに正解などなく、己の体感覚、直感を信じることの重要さを痛感します。
○ エネルギーとは
エネルギーはどこにでもあって、誰にでも扱えるもの。 決して特別なものではない。
万人の目には見えなくても「確かに存在している」と認識すること、「感じることが自分にも出来る」と認めることの方が重要。
これらは自己一致や己への正当な評価なくしては成立しない。
人の視線や気配、場の雰囲気といったものもエネルギーで、そういった意味では日常生活で慣れ親しんでいるし感覚も鍛えられている。
しかしそれらは受動的であることが多く、いざ能動的に扱うとなると特別視して難しく考えてしまいがちである。
また、エネルギーとは距離や時間を超越するもので、遠い人や過去の自分に送るだけでなく、未来の自分から受け取ることもできる。
想念、愛情とも言える。
結局のところ、全てに自己認識が絡んでくる。
自分はどのような人間で、何を選択し、どう生きるか。
どのような変化を遂げながら何処へ向かって生きてゆくのか。
その礎、方向性が確固としたものでなくては、どのようなツールを用いても同じことである。
************************************************************************
とっても素敵な感性をお持ちの方( ^ω^ )
彼女自身が認識している「自分」という存在と、周囲が客観的に見る彼女の存在感にはかなりのズレが生じていました。
それは誰にでもあることです。
そのズレを受け入れることは、それがどんなにポジティブなものであっても抵抗がかかるものです。
ネガティブな面を受け入れることが得意になっている人にとっては、自分の有能なところ、良いところ、美しいところを受け入れることに抵抗が起きます。
逆に自分のポジティブな面だけを探し求めている人は、自分の無能なところ、ダメなところ、醜いところを受け入れることに抵抗が起きます。
彼女は典型的な前者。
自分のダメなところはいくらでも受け入れて、反省し修正して行くことができる。
だけど、良いところ、美しいところになると、どうして良いかわからなくなる^ ^
それでも、それを乗り越えて変容していく様は、見ていて爽快なものでした(≧∀≦)
ちなみに、第1期の受講生の方々に共通していたテーマは、「過小評価」。
第2期の皆様は、いったいどんなテーマで集まってくるのか楽しみにしています!