https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/06/post-10410.php
5月から活発になったキラウエア火山の噴火。
その火口から吹き上げられる噴石の中に、かんらん石(ペリドット)が含まれていて、周囲の地域に降り注いでいるようです。
火山性の宝石なので起こりうることですが、実際に空から宝石が降ってくるというシチュエーションは心が躍ります!
ただ、噴火によって被災した方々はそれどころではないだろうし、心が踊るなんて言ったら、「不謹慎だ!」って言われてしまいますかね( ^ω^ )
でも、明るさの象徴であるペリドットが降り注ぐこの状況は、どんなときでも明るさを絶やさずに困難を乗り越えてきたハワイの方々がこの難局でも、きっと明るさを失わずに前に進んでいるだろうというとを表しているように感じます。
どんな状況でも明るさを失わない強さ、本当の強さってそういうものなんだと思います。
実際に東日本大震災を仙台で体験し、その真っ只中にいたとき、いつもと変わらず明るく振る舞う人たちにいったいどれほど救われたことか。
悲観的としか言えない状況の中で、その中でも希望を失わず、いつものように明るさを失わなかった人が私の周囲にはたくさんいました。
そして、目の前のことを粛々とこなし、困っている人には手を差し伸べ、あたかも、その難局を楽しんでさえいるような生き生きとしたエネルギーは、あの悲惨な状況に与えた影響は相当大きかったと思います。
今も様々なところで起きている自然災害。
大阪北部地震でも、いまだ避難を余儀なくされている方がたくさんいるようです。
今後もっと大きな地震があるかもしれません。
そればかりは、私たちの力の及ばない神のみぞ知ること。
たとえどんなことが起きても、どんな状況陥ろうとも、その出来事は中立で、どんな局面にも極が存在しているのがこの世界。
悲惨に見える出来事や状況にも、それが存在している。
起きることを目の前に、私たちはある一面からしかそれを体験することはできません。
でもその出来事から、状況から逃げずに、しっかりと受け入れて、感じた先には、別の世界が見えてくるもの。
希望を失いそうな出来事や状況でも、きっと想像もできない希望が隠れている。
どこにも希望がないように見えても、それは自分が見えていないだけで、想像を絶する何かがあるはずだ。
ただ、それだけを信じて、目の前のことに集中することが、とても重要なんだと思います。
希望が見えないときは、無理に希望を探すことで、現実から逃避するのではなく、心細くて弱い自分を抱きしめて震える。
暗闇の中で光を見失いそうなとき、無理やり光を作り出すことで暗闇を照らそうとするのではなく、その暗闇で怖がる自分を感じ切る。
その先に、それまで見えていなかった希望や光が見えてくる。
その希望を、その光を見つけるからこそ、どんな状況でも明るく生きられるんだと思います。
非常時に明るくしていると「何も考えていない!」、「不謹慎だと!」と批判されがちです。
でも、本当の希望を知っている人、本当の光を見た人は、文字通り周囲に希望を与え光を照らします。
ペリドットの雨は、私たちにそんなことを思い出させてくれているように感じます(^_−)−☆