ルベライトPTペンダント(^_−)−☆
「自己表現」というキーワードにはこのルベライトは欠かせない石です。
スロートチャクラに不調を持つ人が多い日本人。
言いたいことを飲み込み、周囲に合わせる。
自分のことより、誰かや何かを優先する。
不平や不満があっても、まずは我慢して、状況の平安を保つことに力を注ぐ。
いい意味でも悪い意味でも、日本人らしい振る舞いです。
これまでの時代は、それでも良かったどころか、それが大事で、良い評価を受けるためには欠かせない要素でした。
それができない人は社会からはじき出されるし、良い評価を受けることはまずなかったでしょう。
いわゆる「良い人」でいることは、この社会の中で生きていくため、社会に順応するため、社会に守られるためには概ね都合の良いことだったと思います。
ところが、その「良い人」を演じることが苦しくなる時代が今です。
「良い人」でいることで隠されたエネルギーは、もう墓場まで持っていくことができないのが今の時代です。
隠したつもりのエネルギーは、知らず知らず漏れ出すし、抑圧したエネルギーは、さらに強さを増しながら出どころを探しています。
「良い人」を演じることの代償は、予測の及ばないノーマークのところに現れます。
抑圧されたエネルギー、隠されたエネルギーがあるということは、リスクマネージメントが意味をなさないほどに危険をまとっているとも言えるでしょう。
言いたいことを言う
やりたいことをやる
欲望に従う
自分本位で生きる
誰にも何にも従わない
自己責任で生きる
これからの時代を生きるために重要なことは、いわゆる「良い人」と評されることを優先させていては実践できないことがほとんどです。
特に、長い時間「良い人」になるために必死で生きてきた人には、そのプロセスで身につけた使えるやり方を手放さなければ、到底そんな生き方は無理でしょう。
私自身がそんな人間だったので、その難しさは身をもって感じています(^_−)−☆
「良い人」をやめる。
多くの日本人にとって、それが求められているように思います。
そう言うと、世界が「悪い人」だらけになってしまう!と言う人が出てきます。
「良い人」をやめると、「悪い人」になるはは全く別のこと。
自分自身が「良い」と信じてやってきたことが、必ずしも社会にとって、誰かにとって全て「良い」ことではなかったはず。
自分の信じていた「良い」をやめることが、必ずしも「悪い」こととは限らない。
「良い人」をやめるということは、良かれと思って出してこなかったエネルギーを、悪いと思って隠してきたエネルギーを、周囲のために抑圧してきたエネルギーを出してみるということです。
そして、そうすることによって起きる周囲の反応や評価に惑わされないことです。
周囲の親しい人たちから芳しい反応が得られないかもしれない。
逆に思ってもいなかった嬉しい反応があるかもしれない。
「良い」と評価されることもあれば、「悪い」と評価されることもある。
それらの反応や評価よりも、言いたいことを言ったこと、自分を優先させたこと、自分の欲求に素直になったことで
自分自身が何を感じたのか
を何よりも大切に扱ってあげることが、「良い人」を止めることなんだと私は思っています。
隠したエネルギー、抑圧されたエネルギーから自由になり、素の自分で生きる。
そんな生き方ができたらいいな〜と心から思います。
このルベライトのオーナーさまも、見るからに「良い人」( ^ω^ )
この石をフィッティングしたとき、「新たな扉が開く」という感覚がありました。
そして、この石がその鍵のような存在だと感じました。
それは、きっと、「良い人」で作られていた壁から出て、自由な世界に飛び出すための扉。
その扉を開く鍵を手に入れた彼女がこれから体験する「良い人」の外側。
なんだかワクワクしてしまいます(≧∀≦)
安齋智代
素敵な紹介をありがとうございます。
何度も読み返して、読み返す度に納得です。
このルベライトとの出会いは、まさに私のシフトチェンジ。良い人のまま人生を終えるなんて、出来そうもありません(笑)
魂の羅針盤に従って進むことの楽しさに、気づかされてしまったのですから!
Miyagi_Akira
やはり流れに乗っている人は、絶好のタイミングでいい出会いがありますね( ^ω^ )
そして、人生を思うように生きる人は、そのチャンスを手にする決断が潔いものです。
ルベライトとともに、安斎さんらしさを輝かせてくださいね〜(^_−)−☆