10.32ctエチオピアオパールYGペンダント(^_−)−☆
圧倒的存在感を放ちながらも、優しく柔らかく自然な佇まいに癒されます。
そして、オパールという石の多色性は、見ていて飽きません(≧∀≦)
すべての色が含まれているような、マルチカラーは、オーナーさまの多様性を表しているようです。
私たちは教育というプロセスの中で、マルチな人間になることを求められます。
様々なカリキュラムを万遍なく習得し、たくさんのことに対応できる能力を身につけようとします。
飛び抜けて何かに秀でたものを持っている人以外は、総合的に能力を高めることでしか評価されない。
場合によっては、秀でた能力を持っていても、それ以外の部分で評価されなかったりすることだって珍しくないはずです。
日本の成長は、マルチな人間、器用な人間がいて成り立ってきたという歴史があるため、その部分が評価されやすいのかもしれません。
マルチに何でもこなせる人は様々な場面で重用され、良い評価を得るでしょう。
組織の中では、重要な戦力として、その地位を築くことが可能なため、マルチであることはとても良いことです。
しかし、マルチ人間の憂鬱とも言うべき問題点は、周囲の評価と自己評価のズレ。
自分ではそれほど労力を使っているわけではないのに、周囲の評価は上がっていく。
その状況の中で、申し訳なさを感じたり、ズルしているように感じたり、過大な評価に押しつぶされたり、妬まれたり・・・
結果として、周囲の評価を正当に受け取れないことで、良いはずのものがマイナス要素のようになってしまう。
カウンセリングで出会う方々を見ていていつも感じるのは、その人が持つ才能が、必ずしもその人の幸せにつながっていないということ。
逆に、その才能が自分のマイナス要素だと評価していたり、呪いのようになっていたりさえします。
才能発見とか、才能開花とか言うけど、その評価を変えないなら、それは見つかることもなければ、花を咲かせることもありません。
「できること」「得意なこと」からそれを探そうとしますが、それが隠れているのは、自分のマイナス要素や、忌み嫌っている部分なのかもしれません。
マルチ人間は、そのマルチさゆえに、自分のことを
中途半端な自分
極められない自分
平凡な自分
何も成し遂げていない自分
などと感じている節があり、それを嫌っていたりします。
そういう私自身がそうだったんですけど(^_−)−☆
マルチは才能。
そんな当たり前のことを受け入れるのに、どれだけの時間を要したことか。
なかなか受け入れがたく、いまだに自分の中途半端さや、飛び抜けられない平凡さを呪い、道を極める非凡な自分を求める自分が時たま顔を出します。
でも、このオパールのように、マルチ人間の自分からも、こんなにもたくさんの色は発せられていているとしたら。
ただそれだけで人を癒したり、魅了したり、強い存在感を放っているとしたら、他の何者かになる必要はないと感じます。
このオパールのオーナーさまも、まさに多彩な魅力と能力を持った方です。
きっと、マルチ人間で、何でもできてしまう人。
できるからこそ、分かるからこそ高い到達点を求めてしまうことでしょう。
そこに至らない自分、足りていない自分、そこに気づいてさらなる高みへ進むことを繰り返して今に至る。
そんなことを感じる存在感を放っています。
だからこそ、その道々で発揮してきた自分のマルチな才能とその多彩性をこのエチオピアオパールに触れることで思い出すことでしょう。
そして、オパールの存在感同様、自分自身がただいるだけで最高の存在感を放っているということを自覚するはずです。
このオパールは、Doing 重視の人生から Being 重視の人生にシフトする道しるべとしてよく働いてくれるでしょう(≧∀≦)