1.40ct サンタマリアアクアマリンPTリング(^_−)−☆
見た目も名前も海と水を思い起こさせてくれる石、アクアマリン。
生命の起源としての母なる海に、サンタマリアの名がつけられたこのサンタマリアアクアマリンの濃い青。
それは、より海の深さ、そして大きさ、そして全てを包み込む優しさと愛の深さを感じます。
アクアマリンは浄化の石💎
あるだけで周囲の空気さえもきれいにしてくれるエネルギーと、持つ人の不要なものを洗い流し、純粋さを引き出す。
そんな石です。
そして、古くからお守りの石として重用されてきた石でもあります。
人の持つ純粋さは、あらゆる魔を退ける強い力を持ちます。
その純粋さを引き出す石だからこそ、この石がお守りとして使われてきたのでしょう。
現代人、特に日本人は我慢することに慣れています。
忍耐や遠慮に対する美徳感覚が深い部分に根付いていると言ってもいいでしょう。
それは世界的に見ても稀なもので、日本時の持つ素晴らしさのひとつだと私も思います。
思いやりや優しさからくる忍耐や遠慮は、周囲に円滑な関係性を生み出し、自身の幸福感とともに、それを周囲にも伝播させることでしょう。
しかし、強いられた忍耐や遠慮は、自己犠牲による犠牲者意識と、自己実現を止めることによる不幸感を生み出します。
「べき」思考や、社会の常識にとらわれるあまり、無意識に自分にそれらを強いていることは多いものです。
良かれと思って、最善策を求めての先に、自分が自分を犠牲者にしてしまっている。
それはなんとも切ないものです。
「正しさ」や「善」は大切なものです。
だけど、それ以上に大事なのは喜びや楽しさだと思います。
正しさや善の前では、個人の喜びや楽しさは取るに足りない不要なもののようにさえ見えてしまいがちです。
だけど、喜びの中にいるからこそ、楽しさとともに生きているからこそ、純粋な目で正しさを見定め、自分の中の最高度の善を選択可能なんだと思います。
本物の「正しさ」や最高の「善」は、誰かに作られるものでも、ましてや誰かに強いられるものでもありません。
純粋な自分の目で見定めるもの、純粋な自分の感覚で感じ取るものだと思います。
純粋な自分として見定めた正しさ、感じた善に従って生きることこそ人生の喜びであり楽しさ。
そして、喜びと楽しさの中にいることは純粋な自分でいること。
自分に強いることをやめ、その循環の中にいたら、人生は間違いなく豊かに幸福感に満ちたものになることでしょう(≧∇≦)
このアクアマリンリングのオーナーさま、これまで我慢を重ねる人生だったと自覚されていました。
自分が我慢すればうまくいく、自分が一歩引けばことが荒立たない、自分さえ主張しなかったら話がまとまる・・・・
最初は本当に純粋な思いやりから始まったこんな考え方。
実際うまくいくことが多かった。
だから、それが正しい考え方、これが良いことと信じて、無意識に我慢し、一歩引き、自分の本当に言いたいことやりたいことはずっと胸にしまってきた。
うちに来る方々は、そんな人が多いですが、彼女もそんなひとりです。
知らず識らずのうちに、社会の常識や正しさを優先し、「自分」に我慢を強いて、遠慮して主張せずに生きてきてしまった。
いまさら我慢はやめられないし、自分を主張するなんて・・・
そもそも、我慢してる自覚もないし、何を主張したいのかなんて全くわからない。
そんな人は多いのではないのでしょうか。
たぶん、もう頭で考えた良い方法や、社会で礼賛される方法では何ともならないと思います。
一番の近道は、今まで我慢してきたことによって溜まった涙を流すこと。
涙を流すとどうなるんですか?
どうすると泣けるんですか?
泣き方を忘れました。
ひとりのときにけっこう泣いてます
とかいろいろ言うんですが、もうその時点で我慢のパターンに入っているんです。
理由も理屈も、結果も期待も全部忘れて、ただ溜まっている涙の源に触れてみようとすることです。
そうしようと決めたとき、このサンタマリアアクアマリンは心強いサポートをしてくれるでしょう。
その先に何が起きるかは全くわかりません。
でも、とても大きな一歩を踏み出すことになることだけは間違いありません。
涙は浄化とよく言われます。
浄化の先には純粋な自分が待っているに違いありません。
大きな母なる海のエネルギーが、それを明らかにしてくれることでしょう。
彼女も、これから浄化を体験するとともに、大きな癒しを体験するでしょう。
そして、彼女自身が放つ純粋な存在感がたくさんの人を浄化し、癒していくことになる。
そんな未来を感じます(^o^)/