相対的自分と絶対的自分

パパラチアYGリング(^_−)−☆

 

気品漂う美しいリングです💍

 

先日Youtube「宝石チャンネル」にパパラチアの解説動画を上げたので、そちらもご覧ください♪

【サファイヤの王様】パパラチア

 

「自分らしさ」「ありのままの自分」というキーワードは、近年特に耳にする言葉のようにも感じます。

 

私たちは、生まれた瞬間から否応なしに、その生まれた場所において、社会の一員として組み込まれます。

 

「親ガチャ」なんていう言葉が出来上がるくらい、それはあたかもくじ引きの当たり外れのような容赦のなさのようにも感じます。

 

ただ、その反面として、「自分の魂が親を選んで生まれてくる」という視点で見ると、一点集中でその環境を望んで生まれてきているとも言えます。

 

ただ、どちらにしても、「自分」という個と、自分以外の外側の世界は明らかに別物であると言えるでしょう。

 

その外側の世界の一員である「相対的自分」と、唯一無二の存在である「絶対的自分」の両面の「自分」が存在していて、私たちはその相容れないふらりの自分の中で揺れ動いている存在なのかもしれません。

 

相対的自分の意識に傾きすぎると、今の自分の置かれた環境や状況に一喜一憂し、それに翻弄された生き方になるでしょう。

 

でも、その意識は、この世界の中で「自分」という存在を形作るには必要不可欠な意識です。

 

逆に絶対的自分の意識に傾きすぎると、周囲に興味が持てなかったり、逆に世界に対する恐怖で身動きが取れなくなるでしょう。

 

でも、その意識は、幸福感や満足感、充実感を感じるためになくてはならないものです。

 

その両方の「自分」の中で必死にバランスを取りながら、置かれた状況の中で必死に生きているのが私たちなのかもしれません。

 

そして、その必死に生きていく過程で私たちは「自分らしさ」や「ありのままの自分」を見失っていきます。

 

「自分らしさ」や「ありのままの自分」とは、自分自身の純粋な魂に繋がっている時の自分だと私は思っています。

 

では、純粋な魂とは?

 

人生において最も純粋な魂に近かった時期は「乳児期」の自分です。

 

まだ自我が芽生えていない時期です。

 

その時期を経て成長するに従って、自分と他者を区別することで、「自分」という存在を認識していくプロセスを踏みます。

 

※ 自我が芽生えるのはいつか?には諸説ありますが、最近生まれてくる赤ちゃんたちを観察していると、もうすでに自我を持っているようにさえ感じます。

  もしかしたら、今生まれてきている子供たちの多くは、私たちとは全く違った新しい魂の持ち主たちで、すでに「自分」という存在の理を知っていて、そのプロセスを必要としないのではないかとも感じています。

 

外側からの刺激、自分の行動による変化、自身の意識の変化などを経験することで、「自分」とはこういう存在だという自己認識が作られます。

 

自己認識の多くは、外側からの影響によって作られる、相対的自分の意識によって構築されていくわけです。

 

その自己認識の中に「自分らしさ」や「ありのままの自分」という要素が目減りしていくのは当然のことです。

 

でも、そうやって構築された自己認識は「自分」として生きていくために最も都合の良い認識だとも言えます。

 

人生がうまくいっていようが、破壊的であろうが、「自分」であるために都合がいいので、その自己認識を守っているうちは、「自分らしさ」や「ありのままの自分」なんて正直どうでもいいんですw

 

ただ都合がいいことと、満足できるかは全く別物です。

 

社会的にどんなに成功していようとも、相対的自分の意識だけで生きていたら、人生の満足度は全く感じないでしょう。

 

逆に、絶対的自分の意識を忘れずに社会の一員としてしっかり生きている人は、たとえどん底を経験したとしても、その人生の満足度は高いものです。

 

「自分らしさ」や「ありのままの自分」とは、自分自身を「自分」として認識するために隠されてきた自分の純粋性です。

 

ということは、自分らしく生きる、ありのままの自分を表現するためには、それを隠すことで作られてた認識を壊すしかありません。

 

自己認識を変えるのは、自分が今立っている地面を自らが壊そうとするに等しい行為です。

 

自分が立っている確実で安全な地面がなくなったら・・・・・

 

底なし沼に落ちていく、自分が自分でなくなる、宇宙が崩壊する、どう生きていいかわからなくなる・・・・・

 

さまざまな感覚が湧いてくることと思います。

 

そんな危険を犯すくらいなら、「自分らしさ」や「ありのままの自分」なんてどうでも良いように感じるのは当然かもしれません。

 

それでも、一度きりの人生を心から味わいたい、満足して魂の源に帰りたい、風の時代だからその流れに乗りたい、と感じているのであれば、その危険に自ら足を踏み出してみてください。

 

そのさきに何が待っているかは全くわからないし、何の保証もありません。

 

でも自分の純粋な魂が震えるような体験が待っていることだけは確実です(≧∀≦)

 

 

このパパラチアのオーナーさまもその危険を顧みずに自己認識をぶち壊した一人です(^_−)−☆

 

強い信念が何度もそれを邪魔したことと思います。

 

それでも彼女は目の前のことを受け入れて、しっかりと、そして着実に自分の作ってきた強固な自己認識を破壊してきました。

 

生活の中の小さなこと、そこで感じる自分の感情を感じ取り、丁寧に感じてみる。

 

可能性に気付いたらすぐに行動する。

 

行動の結果何が起きたのか、自分は何を感じたのかを丁寧に検証する。

 

これって簡単なようですごく難しいことです。

 

でも彼女はそれをコツコツと、着実に積み重ねてきました。

 

第三者の私から見るととても勇敢で、柔軟性があり、素直な彼女に畏敬の念を感じます(^_−)−☆

 

ただ、彼女自身はそんな自分をまだまだ過小評価しているようですw

 

パパラチアは、彼女自身の素晴らしさを、彼女に思い知らせてくれることでしょう💎

 

彼女自身がいかに高い到達点に至ったのか、そして「自分らしさ」「ありのままの自分」は、自分の純粋性そのものであることがより深く理解できるはずです✨

 

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