ラジオで、「生きる目的が見つからなくて、気力が湧かない。かといって死ぬのも怖い。どうしたらいいでしょう?」という若者のお悩みに、パーソナリティーの方が優しく丁寧に答えていました。
素晴らしい回答で、さすがだな〜と関心しました。
私だったら「暇なんだよ。甘えてないで、目の前のことを必死にやれ。」って言っちゃいそう( ^ω^ )
実際、自分の子供たちにもそう言っちゃう(^_−)−☆
生きる意味が見出せないという時期って、誰もが通る道なのかもしれません。
上手くいくことが多ければ多いなりに。
上手くいかないことばかりだったら当然。
それなりにいい感じだとしても、やっぱり。
これでいいんだろうか? このために生まれてきたんだろうか? 何のために生まれてきたんだろう? なんていう思いが浮かんでくることは誰でもあるでしょう。
生き残るために生きるというような、過酷な環境に置かれたとき、生きるということに必死になっているときというのは、そんなことを感じている暇はない。
今の日本のように、簡単に死なないように守られている環境では、それを感じ取って、眺めるだけの余裕があるとも言えます。
過酷な環境がいいとかいうことはもちろんありません。
この国が豊かであることが悪いことでもないでしょう。
この環境に生まれた自分が、その余裕をどのように使うのか?たくさんの選択が目前にある中で何を選ぶのかということが問われるということだと思います。
その余裕に甘んじて、必死で生きることを放棄するのか?
今ある豊かさを守るために、環境に適合し続けることを選ぶのか?
余裕を生かし、クリエイティブに生きるのか?
その疑問に真っ向から向き合い、より高い次元の自分を目指すのか?
そんな自由さえ与えられているのが今の日本なんだと思います。
ただ、どんな選択をしたとしても、本当にこれでいいんだろうか?何のために生まれてきたんだろう?そもそも自分って何なんだろう?という疑問がつきまとうでしょう。
どんなに気にしないようにしても、知らんぷりしようとしても、考えないようにしても、頭をかすめる疑問。
それに気づいていても、いなくても、その疑問に縛られている人は多いのかもしれません。
実際、私も長い間そんな時期を過ごしてきました。
最終的に「生きる目的」なんて何でもいいし、どうだっていいことなんだと思います。
今この瞬間を真剣に生きるかどうかが大事なんだと。
真剣とは、真面目に生きることではなく、今この瞬間を感じるままに生きることなんだと思います。
最善を生きるのではなく、最高を生きる。
正しく生きるのではなく、楽しく生きる。
過去や未来に生きるのではなく、今を生きる。
今のリアル感を感じ切る生き方。
多様化し、リアル感が乏しくなっているこの国で、そんな生き方をするのは難しいことです。
生きている実感さえ感じにくくしてしまうエネルギーに包まれた現実。
だからこそ、今を感じることがより重要になってくるのだと思います。
今を生きている実感があるからこそ、「生きる目的」なんてどうでもよくなるし、どこにでも「生きる意味」を見出せるんだと思います。
生きている実感こそが生きている意味なのかもしれません。
ラジオパーソナリティーが言っていました。
生きる目的を探すことが目的になってはいけない。
目的なんて見つからなくても、目の前の小さなことに力を注いでください。
全ては、今目の前にある。