1.12ct ルビーYGリング(^_−)−☆
ルビーの存在感もさることながら、その中石のエネルギーを何倍のも高める周囲のダイヤモンドとデザイン!
豪華でありながら、さりげない佇まいで、ダイヤモンドが石畳のように配置されたパヴェのセッティングが優しくかつ力強く光を放っています。
ダイヤモンドには、他の石のエネルギーを高める特性があり、アクセサリーの脇石によく使われます。
ダイヤモンドは、宝石の中でもある意味異質で、その価値や性質から、他の宝石とは異なった独自の流通がなされてきました。
主役にも脇役にもなれるのは、そのエネルギーの純度が高く、容量が大きいからなのでしょう。
ルビーは「私」を強く意識させてくれる石です。
肉体的にも、精神的にも、「自分」という存在に意識を向けた時、私たちはいかに自分のことを把握できていないかを思い知らされます。
体が悲鳴をあげているのに、体を酷使したり、不調があるにもかかわらず、大丈夫だと納得させたり、体のバランスが崩れていても、その崩れた状態が当たり前だと思っていたり。
病気になったり、体が本当に動かなくなったりして初めて省みることなどよくあることでしょう。
精神的なことなんて、目に見えないからなおさらです。
社会の中で生きて行くには、ある意味、「自分」よりも他者や周囲の状況を優先させなければならないことが間違いなくあります。
良い悪いではなく、そうすることで他者と関わり、社会に適応し、喜びを享受し、豊かさを感じていく部分がとても大きいものです。
ただ、そうして置き去りにされた「自分」は、どこにも消えません。
そんな置き去りにされた「自分」を思い出していくことは、社会で才能を発揮していく、誰かの役に立つ、願望を達成することと同じ、もしくはそれ以上に重要なことだと私は思っています。
私は自分という存在を勘違いして認識しています。
それは置き去りにされた「自分」がいるから。言い換えれば置き去りにするために勘違いさせてきたから。
それはダメだったとか、間違っていたということではなく、そうすることが最善だと、そのときの自分が信じたから起きたことです。
勘違いを紐解くということは、自分に意識を向け、その勘違いに気付き、本来の自分とつながることです。
リングのオーナーさまは、このリングが自然に似合うゴージャスな雰囲気の持ち主です。
このリングもファッションリング的に着けこなせてしまう(^_−)−☆
だけど、本人は、サポート側や裏方にいるような存在だと思い込んでいるようで、これまでもアクセサリーなどはあまり身につけてこなかったようです。
周囲からみれば、「意外〜!」と感じることでしょうが、本人の感覚はそれが普通。
でも、今回このリングを身につけて、見る側もしっくりくるし、本人も違和感なく受け入れていました( ^ω^ )
彼女がリングを受け取りにいらしたとき、素敵なペンダントを着けていらっしゃいました。
イエローサファイヤか、イエローダイヤモンドか!と思うような、強い存在感を放っています。
ペンダントを見せてもらうと、それは薄い色のペリドットで、それ自体はそれほど強いエネルギーを持っていません。
そう、彼女のエネルギーが石のエネルギーを高めていたのです。
まるでダイヤモンドのように????
たぶん、周囲の人や物、空間さえエネルギーを高めるような役割を無意識で担ってきたのだと思います。
今までは、自分よりも周囲を高める存在、でもこれからは、ルビーのように自分が主役になり、周囲に使っていたエネルギーを自分に使って行くプロセスに入るんだと思います。
それは、全力で楽しみ、喜び、悲しみ、怒り、全領域を味わい尽くすプロセス。
「誰かのため」から、「自分が!!」の意識とこのルビーリングが、彼女を想像もつかない世界に運んでくれることでしょう。