聖域を守る

壊したくない大切な何か。聖域。

私にとっての子供からの聖域は「スキー」。

幼稚園のころから始めたスキーは、家族との大切な時間の象徴で、何よりも大切にしたいもので、一年中常に頭の中で雪の上を滑る自分のイメージを持って暮らしているほどでした。

営林署の職員だった父が、私たち姉弟を連れて、時間を共有する唯一の場所が蔵王温泉スキー場。

その非日常も相まって、忘れられない大事な空間として小さい頃から今日れるに焼き付けられた「大好き」。

それは、いつの間にか聖域となり、それは触れるのも細心の注意が必要、その世界を壊すことなんて許されるはずのないものとして、意識の中に強くインプットされるのでした。

 

あるとき、姉が中学校の冬季限定スキー部に入部し大会に出場しました。

羨ましい反面、家族の会話に戦慄を覚えたのを今でもはっきり覚えています。

 「部活なんて、自由に滑らんねぐなるべ」 ※注 山形弁で「部活なんて入ったら、自由にスキーができなくなってしまうよ」

 「ほだなごどしたって、おもしゃぐね」 ※注 「そんなことしたって、面白くないよ」

ああ、家族以外の場所でスキーをすることは、あの聖域を壊すことになりかねないんだ・・・

姉たちがそんなことを意図して行っていたわけではなく、ただ、彼女たちがそう感じるというだけの話です。

でも、私の意識では、家族の大切な聖域と汚してはいけないというスイッチが勝手に入り、中学でスキー部に入ることはありませんでした。

今考えると信じられないことですが、好きなことを軽々しく「好き」と言ってはいけないという呪縛で聖域を守ろうとしたていたわけです。

意識の中で勝手に聖域として祭り上げながら、外側には軽々しくそれを悟られないようにする。

そんな意識が作られていたことに気付いたのは、それから長い長い年月が経過してからです。

 

高校に入り、当然スキー部に入るなんてことはありえないこと。

スキー以外であれば、何でもok!の中、探すのは得意なこと。

得意なテニスであれば、評価されるはず。テニス部が自分の居場所に違いない。

そう自分に言い聞かせるように、テニス部に入部。

当然、すぐにレギュラーとして試合に出ることになるわけです。

でも、どんどん楽しくなくなっていくんですよね〜これが。

気にしないようにしても頭から離れないスキー。

そして、それを思いっきり楽しめる環境がここにはあるのに、なぜ自分はそれを選ばないんだろう?

という疑問だけが頭をぐるぐるするわけです。

一念発起で、スキー部に入部する決心をするんですが、それは聖域を壊すかもしれない大きな決断なわけです。

もう、人生をかけても惜しくない!くらいの勢いで、親に「スキーをしたい」と頼み込むという、今思えばおかしな光景が展開されるわけです。

案の定、出てくる、聖域を侵してしまったような罪悪感。

お金の話なんかが出てきた日にゃ〜もう、絶対にやっちゃいけないことをやってしまった犯罪者のような気分ですよ。

 

結果、スキー部に入るわけですが、その2年間は本当に楽しかった!

そして、本当に好きなことを好きだと言える自由に、「この時間が一生続けばイイのに!」と本気で思っていました。

スキーに関係した職業を目指すという選択肢が頭に過りますが、家族との楽しい聖域を守るという呪縛は、そんな最高のイメージさえすぐに消し去るほど強力でした。

当時は

 この幸せな時間は、これ以上聖域を犯さないという誓いと引き換えに得た束の間の喜びなんだ

 ここからの人生は、もう触れてはいけない

と、固く蓋を閉じることになるわけです。

 

表面的には、平和な日常が流れていたに過ぎないこんなエピソード。

でも、意識の世界では、こんなどうってことない出来事が自分の「大好き」に触れられないほど強い力で制限をかけていました。

強烈な出来事が人生に大きな影響を与えるのは誰でも知っています。

でも、日常な些細な出来事がその後の人生にどれだけ大きな影響を与えているのかを知る人は少ないものです。

私も何十年もかけてようやく知るに至ったわけなので、偉そうなことは言えませんが、自分を知る第一歩は、

 自分がいかに、大好きなことを素直に「好き」を言えないか?

を知ることなのかもしれません。

それは、好きな人に「好き」と伝える。

そんな些細な場面にこそ現れます。

素直さとは、自分の「好き」をただそのまま「好き」と言える力なのかもしれません。

 

2件のコメント

  1. 清水早苗

    アキラ先生今日は。
    大好きな家族との素晴らしく楽しい時間・・・。
    美しい蔵王の景色、香り、雪山の厳しさ、どこまでもどこまでも、山を滑る楽しさ。
    大好きだぁ〜❗️❗️
    と思えるものがあるのに、別なもので気持ちを封印してしまった、青春時代。
    アキラ先生の大切な想い。
    封印してきた聖域の扉が開いたのは、現在もたくさんの大切な大好きなひと達やものに囲まれているからなのですね・・・。
    愛することを知っているアキラ先生素敵です。

    • Miyagi Akira

      早苗さん
      ありがとうございます????
      封印を解くことができた最大の要因は、妻との出会いです。
      そして、増えていく家族との時間がその聖域を超えるほど大切なものだと思えたからですね(^_−)−☆

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