型を破る

 

ジュエリーセラピスト養成講座も4回が終了し、セラピスト変を終了しました。

 

やっていることは、相変わらず「自分を知る」( ^ω^ )

 

受講生の方々のレベルがあまりにも高く、テキストはほとんど使わず、実習もなし(^_−)−☆

 

いつでも、カウンセラーとして開業できる勢いです。

 

 

「守破離」という言葉をあらためて感じています。

 

基本を学び、それを忠実に守り、経験を積み上げる「守」。

 

人生はその「守」だけで終わってしまうことだってあるだろうし、その「守」さえも満足にやらず終わってしまうことだってありうるでしょう。

 

「守」は、喜び、楽しさ、苦しさ、辛さなど、生きている実感を感じられる宝庫なので、それだけで人生を終えたとしても、しっかり積み上げたものがありさえすれば、人生は成功だと言えるのかもしれません。

 

最も後悔するのは、その「守」さえもろくにやらず、何も積み上がらない人生を生きたときなのでしょう。

 

「守」の積み上がる喜びがやめられないとしても、それは決して悪いことではなく、そのあとの「破」の人生に足を踏み入れるかどうかの選択の問題なんだと思います。

 

「守」だけで人生を終えるのか、それを破って全く新しい世界に足を踏み入れるのか?

 

「守」もろくにやらずに「破」を目指そうとする人はたくさん見かけます。

 

でも、積み上がっていないものは破れません。

 

そもそも「破るべき型」がないんだから。

 

積み上がったものがあり、「破るべき型」を手にしている人だけが「破」のプロセスに入れるわけです。

 

破っていくから偉いわけでも、凄いわけでも、価値が高いわけでもなく、単なる選択。

 

だけど、出来上がっている人が、まだまだ出来ていないと言って今に止まるのは、肩も出来上がっていない人が型破りをしようとしているのと同じように不自然です。

 

自分がもう出来上がってしまっているのか?、まだまだなのか?は、客観的に自分を見ることでしか分かりません。

 

外側の物差しで推し量っているうちは、間違いなく誤差が生じてしまうでしょう。

 

カウンセラーとしてたくさんの方々に出会ってきて感じるのは、本人の認識と客観的に見たその人の完成度には相当な誤差があるということです。

 

端的に言えば、

 

 出来上がっている人は、型を破っていくのを躊躇し

 

 出来上がっていない人は、型破りを求める

 

ということ(表面的ではなく、内面の話ね)。

 

もうそろそろ、型を破って自由に自分の型で表現すればいいのにな〜という人は、なかなか型を破らない。

 

もっと基本に立ち返り、目の前の小さなことに目を向けて積み上げればいいのにな〜という人は、スペシャルなやり方や逃げ道を探す。

 

自分のことになると、それだけ客観性が働かないのが人間なんでしょうね〜

 

良い悪いの話ではなく、自分自身を客観的に見るということは、直近の未来に向かって自分がどの道を選択するのかをはっきりさせてくれる道しるべになる

ということ。

 

誤差があるままに選択するのか、誤差を見つけて修正して選択するのか?

 

その差は時間とともに大きな開きとなって、自分の人生に現れてくるでしょう。

 

 

ジュエリーセラピスト養成講座の受講生の方々は、もうすでに「破」のプロセスに足を踏み入れた方々。

 

「守」で積み上げてきた、確実な型を破り、着実に自分だけの型を見つけようとしています。

 

それは、もう誰かの評価や許可を必要としない自分だけの型。

 

それを見つけていくプロセスに立ち会えるのは、何よりの楽しみです(^_−)−☆

 

基本ができているからこその型破り。

 

そこで何が生まれてくるのか、今から楽しみです!

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