足るを知る・分をわきまえる

正と負、陰と陽、ポジティブとネガティブ。

 

二極の世界が目に見えるこの世だとしたら、それは常に均衡していて、一方の極が大きければ、もう片側の極もそれと同じだけ存在しているということなのかもしれません。

 

対である以上、一方からの視点だけで、他方のことを排除しようとしてもそれは叶うはずもありません。

 

また、片方に居続けたまま、他方を望むことはできても、実際に体験することはできないでしょう。

 

私たちは常に、その極の間と、その極が全く存在しない「無」を行ったり来たりしながら、この世を体験している存在なのかもしれません。

 

漂う波のように、正と負を行ったり来たり。

 

そして、一瞬その波の0ポイントを通過しながら。

 

波は、その振幅が大きければ大きいほど、動きが激しく、大きなエネルギーが働きます。

 

生きている実感は感じやすいでしょう。

 

逆にそれが小さければ小さいほど、動きに乏しく、エネルギーも小さくなります。

 

生きている実感は感じにくい、どころか生きていられなくなるかもしれません。

 

臨終の波形は、波が消えたときの形です。

 

神道で言う「穢れ」は、この波の振幅が小さくなっている状態。

 

「けがれ」とは、氣が枯れる=エネルギーが小さくなっているということで、死に近くことから忌み、避けられてきたものです。

 

決して汚れ(よごれ)だけを指しているものではなく、何かしらの要因でその人の持つ本来の波形が小さくなっていること、氣が枯れていることを言います。

 

祓いとは、枯れたエネルギーを補給して、本来の波形に戻すこと。

 

それが、汚れを落とすことかもしれないし、背負っているにを降ろすことかもしれないし、人によって全く違ったことなんだと思います。

 

なぜ、自分の本来の波形が小さくなってしまうんでしょう?

 

たぶんそれには、信念が大きく影響しているように思います。

 

外側のエネルギーに影響されることも全くないわけではないけど、そのエネルギーの影響によって、信念が過剰に強く働くことによって、振幅が制限される。

 

自分も含め、多くのクライアントの方々の気付きのプロセスを見ていると、そうとしか思えません。

 

要は、本来の自分に対して、大きな勘違いをしているからバランスが崩れると言うこと。

 

本来はとっても大きな振幅を持っているにも関わらず、自分自身を過小評価する信念がその振幅を抑えてします。

 

自分よりも周囲を優先する信念も、同じように小さくしてしまいます。

 

逆に、そんなに大きな振幅がないにも関わらず、それ以上の自分になろうすることでエネルギーをリークさせ、結果エネルギー欠乏で振幅が小さくなる場合もあるでしょう。

 

また、一方の極に居続けようと止まろうとすることは、当然その流れを阻害して、振幅を小さくしてしまうことでしょう。

 

一方を避けるという信念も同じことかもしれません。

 

 

結局のところ、自分の最適な振幅を知ることなしに、穢れのない自分としてイキイキといきることは叶いません。

 

足るを知る、分をわきまえるという言葉は、その本来の自分の波の大きさ、器の大きさを知るということで、波の大きさを小さくすることとは、根本的に違います。

 

本来の自分は、どんな器を持ち、どんな信念でバランスを崩しているのかが客観的に見れなければ、足るを知ることも、分をわきまえることもできません。

 

自分を過小評価している人は、自分がもっと大きいことを認めることがそうであるし、自分を過大評価している人は自分の小ささを認めることがそれかもしれません。

 

外側の評価のみで自分を測っている人は、自分の目で自分自身を直視することから始めなければならないでしょう。

 

 

自然の動物や植物の純粋な波動は、その人の本来の波動を共鳴し、本来の自分の振幅を思い出させてくれる存在です。

 

動物に触れることでセラピー効果があったり、森に行くと癒されるという体験は多くの人が体験しているでしょう。

 

同じように、鉱物も人と共鳴し、たくさんの恩恵を与えてくれる存在です。

 

中でも宝石は、古くから人間の純粋性を思い出させてくれるパートナーとして使われてきました。

 

石は、その人本来のエネルギーと共鳴することで、そのエネルギーを調整、増幅してくれます。

 

呪術や魔法の道具のようですが、宝石に魔力や特別な力があるわけではなく、その人に本来備わったものを明らかにしてくれるツールです。

 

本来の自分の姿を直視したくない人は、宝石を持っても、意味がありません。

 

逆に、宝石の存在が疎ましくなることでしょう。

 

でも、「本来の自分はいったい何者?」を知る勇気がある人には、この上なく心強いパートナーになってくれます。

 

穢れのない人なんていません。

 

今を生きていたら、多かれ少なかれ誰でも氣が枯れています。

 

癒しのツールや、場所がこれだけ必要なのも、現代に生きる私たちに必要だからこそ。

 

どんなツールを使っても、どんな場所に行ってでも、本来の自分の器を知らなければ、エネルギーの補給だけになってしまいます。

 

根本的な「自分を知る」ためのツールは、自分の内側に流れるエネルギーを効率よく使い、また生み出す力が自分にあることを思い出させてくれます。

 

宝石は、本来そんなツールです(^_−)−☆

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